大学のあり方:ビジネス系大学教育における質保証(3)

Book Review Contribution University

前回の記事「大学のあり方:ビジネス系大学教育における質保証(2)」の続きです。

前回から、学生の学習能力の低下について考えています。

書籍「ビジネス系大学教育における質保証」では、学習能力の低下について、4つの意味を含んでいるとしています。

  • 基礎学力の不足
  • 学習の方法や態度の未熟度
  • 学習意欲の低下
  • 体験や社会的コミットメントの不足

今回は、この中の「学習の方法や態度の未熟度」について考えてみましょう。

学習の方法や態度の未熟度
学習の方法・仕方が獲得されていないという指摘です。

学習の方法は「聞く」「読む」「書く」「計算する」「話す」「調べる」「分析する」「まとめる」「議論する」「発表する」など多岐にわたります。

これらをひとまとめにして「スタディスキル」と呼ぶこともあります。

「スタディ」とありますが、これらは実際にはビジネスの場面でも必要なスキルですし、社会生活の中でもこれらのスキルを活用することで日常がより豊かに(物量的にではなく、精神的に)なると私は考えています。

では、スタディスキルはいつどのように獲得されているものなのでしょうか。
書籍では、大学に入学した段階でこれらのスキルが獲得されていないことにより、授業運営が困難であることを指摘していますが、それはいささか高望みでしょう。

そもそも高校(普通科)までの学習と大学における学習は異なるのです。
これは私の偏見かもしれませんが、高校までは国・数・英・社・理と呼ばれる基礎的な科目をまんべんなく学ぶ「底上げ」の学習です。一方、大学では専門分野における知識・経験の習得を目的とした学習です。

学習の目的も異なります。是非はともかく、現実には普通科高校の学習は大学受験を目的とした学習に偏っています。一方、大学では専門分野の学習がそのまま社会活動の基礎となるケースは案外少なく、もっぱら学生個人の興味関心、適性に応じた分野を選択しているというのが現状でしょう。(この「興味関心、適性に応じた」というあたりは今後も取り上げていくテーマです)

これらの違いが学習スタイルにも影響を与えているというのが、私の考えです。
高校までの学習は「正解」が与えられており、その正解をインプットし、テスト上でアウトプットすることを求められています。どちらかというと受動的な学習スタイルとなるでしょう。
大学は高校までとは異なります。「正解」が与えられるケースもありますが、それよりも正解にたどり着くまでのプロセスを自ら習得することを求められます。つまり能動的な学習スタイルなのです。

確かに高校までの学習でもスタディスキルは必要です。しかし、これは受動的な学習スタイルに特化したスタディスキルに過ぎません。「聞く」「読む」「書く」「計算する」「話す」スキルはテストの場面で発揮するために洗練化されますが、それがそのまま大学の学習の場面で通用するとは全く思えません。明らかにレベルが低すぎます。

ましてや「調べる」「分析する」「まとめる」「議論する」「発表する」スキルは、その機会すらまともに与えられてこなかったのが現状ではないでしょうか?

大学では未知なるものに挑むことを強いられます。その際、これらのスキルがない学生はどんなに貧弱で、心細い存在でしょうか。

ちなみに「スタディスキル不足」をしたり顔で語る大学の教員(私も含みます)も、高校生の時点ではロクに「調べる」「分析する」「まとめる」「議論する」「発表する」ことはできていないはずです。これらのスキルは大学、あるいは大学でも身につかず、大学院、さらには就職し企業活動の中でOJTとして身につけていったものなのです。
(さらに厳しいことを言えば、社会人となってもこれらのスキルが身につかず、右往左往している大人たちが世の中には大勢います。なぜそんなことがわかるのか? 私の所属している大学は社会人学生が大半を占めますが、年齢や社会経験とスタディスキルの有無は無関係であることを実感しているからです。)

スタディスキル不足は大学の授業の質を低下させる深刻な原因ですが、高校までで身につける機会が得られていないわけですから、ここは大学側で引き受ける覚悟が必要でしょう。

ただ、スキルの習得は知識の習得と異なり、厳しい指導や反復訓練が必要となります。大学生はすでに心身は大人であり、大人としての自我(プライド)を持っています。プライドを持つがゆえに厳しい指導や反復訓練を受け入れられないリスクもあるということは留意すべき事項でしょうね。

次回は「学習意欲の低下」について。

 


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