経験により学んだこと(3)-TwitterだけでなくFacebookもバカ発見器として機能する

Twitterが「バカ発見器」という異名を持つことは、多くの方が納得されることでしょう。中川淳一郎氏の興味深い指摘もあります。

コンビニのアイスケースに入り込んだ事件や飲食店のバックヤードにおける奇妙な行動、窃盗・交通違反などのやんちゃな行為自慢など、Twitterを経由した「バカ」の数々はみなさんの記憶に新しいところです。
さて、最近学んだこととして、
「TwitterだけでなくFacebookもバカ発見器として機能する」
ことを指摘しておきましょう。SNSというカテゴリでまとめてしまえば、TwitterだろうがFacebookだろうが大差ないのかもしれませんが、この二つには大きな違いがあります。
Twitterが匿名での利用を許容しているのに対して、Facebookは実名での利用を前提としたサービスになっています。もちろんFacebookにおける登録がすべて実名である保証はありませんが、案外この運用は日本の利用者にも受け入れられているようです。
またもや詳しく書くわけにはいかないのですが、Facebook上で実名や勤務先を曝露しながら、堂々と不法行為(の疑いがある行為)をしている方を発見しました。幸いにも現在はこの書き込みは削除されています。
素朴に考えると、実名を曝露しながらの書き込みは、本人が特定される確率が高い(当たり前)ので、慎重な書き込み(発言)が為されるはずなのですが、どうやらそんなことは関係ないようです。
ただ、せっかくなので少し深く考えてみましょう。
客観的に考えると、このような方はいずれかの錯覚を起こしている可能性があります。

  1. Facebookにおける書き込みが伝わる範囲についての錯覚
    • 顔見知りがFacebook上でつながることにより、書き込みが伝わる範囲がごく近い範囲であるかのように錯覚する。(その割には書き込みが「公開」設定されていたりする)
    • Facebookでは可能性は少ないのですが、自分という存在が特定されないかのように錯覚する。(その割には実名も職場も学歴も曝露していたりする)
  2. Facebookにおける書き込みの適切さについての錯覚
    • 顔見知りがFacebook上でつながることにより、社会通念上妥当とされるルールより、身近なコミュニティのローカルルールが優先されるかのように錯覚する。
      (いわゆる「内輪受け」、あるいは近しいコミュニティ内の「ネタづくり」が優先されている)
    • 書き込みがもたらす影響について過小評価し、「個人の発言だから許される(個人の発言は自由。表現の自由)」というお目こぼしがもらえるであろうという錯覚。

おそらく、今回私が遭遇したケースは上記2.に近いのではないかと考えられます。
もしかすると、私も「錯覚して」しまうかもしれません。これも自分が無関係だと思わずに、気をつけて行きたいと思います。