経験により学んだこと(8)-安易に起業を勧める人は愚かである

Contribution Strategy University

安易に起業を勧める人は無責任だ

ここ最近、来年度から私が指導する卒業研究テーマについて、学生と打ち合わせを重ねている。

私の研究室に配属される学生は3名。私が所属する大学は、比較的社会人学生が多いのだが、3名のうち2名は新卒扱いとなる若い学生である。必然的に、卒業研究テーマだけでなく、その後の就職先に関する相談を受けることとなる。

一般論であるが、新卒学生を対象とした就職状況は厳しい。無名大学の新卒就職率は7割を切ることもあるようだ。(有名かつ優秀な大学の学生はその限りではない)

また、現在の日本の社会の中で、新卒採用というのは人生の中で最も就職を実現できる唯一の機会と言ってもよい。残念ながら、この機会を逃すと言うことは、その人の人生で大きなハンディキャップを背負うことになるというのが、私の見解だ。 つまり、新卒採用となる学生には、卒業と就職をセットにして指導する必要があると認識している。(もちろんこれには異論もあるだろうが、客観的に見てこの事実を覆せるほどの事例を見たことがないので、異論がある場合はその事実を見せて欲しい)

もっとも、私自身が過去に職業訓練校の講師をしていたため、就職に関する思いが強いのかもしれない。そのため、指導する私自身も真剣である。実際、すでに来年度卒業する学生を対象とした説明会へのエントリーはもう始まっている。

先日、そのような事柄を学生たちの状況を知る、ある人物に話す機会があった。

すると、その人物曰く、
「就職できなければ、起業しちゃえばいいんじゃない?」

ちなみに、その人物はいくつかの会社に転職こそしているが、起業はしたことがない。その人物が、あまりにも安易に起業を勧めているというのは、やはり当事者ではないからだろう。無理もない。

ただ、自分でやったこともないことを安易に提案するというのはいささか無責任だ。特にその人物が他者に影響を与える立場であるならば、なおさらだ。(立場ある人物の発言や責任については、以前このブログで書いたとおりである)

もちろん、この人物の見解が学生に届いたという事実はないが、万が一、学生たちがこの人物の提案を真剣に受け留めて、就職の逃げ道として起業を志すようなことがあってはならないと、強く憂慮している。(まぁ、考えすぎですが)

私自身の見解

私自身は安易な起業には否定的だ。もちろんこのままでは、議論を進めることはできないので、起業について定義をしておく。

起業とは、雇用関係ではない手段で、自らの発意に基づき、自身の生計を維持するための活動を行うものである。

要は自分自身の器量で生きていくという意味を含んでいる。

ちなみに私は過去に二回起業のようなことをした。一回目は、勤めていた会社を辞め、自分の事務所を立ち上げた時。二回目はこじんまりとしたソフトハウスを立ち上げた時だ。

常に私の起業はギャンブルではなく、綿密なリスクヘッジをしたうえでの取り組みである。一回目の独立の時には失敗してもリカバリできるように次の手を常に考えていたし、そもそも失敗しにくい領域での独立だった。二回目は、自分がハンドリングできる事業規模までしかやらないと決めていたので、ほとんどリスクを感じなかった。

ただし、これを「起業」だと言い切れるかは、自信がない。一回目は単に独立して自営業になっただけなので、自らの発意に基づく事業をやったという実感がない。二回目は取引先からの要望で、新規事業の受け皿としての会社の経営を始めたということであり、これ自体で生計を維持するには至らなかった。

そのような経験から、起業に関して次のようなことが言える。

起業するのならば、

  • よほどそのことが好きかで、人生を掛けて取り組みたいか
  • 起業により(いろんな意味で)多くのリターンを得られるか
  • そもそも、その起業に勝算はあるか
  • スタートアップ直後の時期を楽に過ごせるような受注機会が目前にあるか
  • 失敗したときのセーフティネット(あるいは脱出手段)を確保しているか

という条件を満たしていなければ、安易に踏み切るべきではない。これは経験者としての見解だ。

それだけに、前述の人物の安易な提案は、愚かであると言えるだろう。

大学教員としての見解

幸いにも前述の人物は大学教員ではないが、これが大学教員で、学生の指導を行う立場だったらと思うと、恐ろしい。

もはや大学は(学校を選ばなければ)誰でも入学できる教育機関になった。それだけに、大学卒業という肩書の価値も低下している。一方、そのような現実を示すことなく、学生を育てることもせず、社会人としての基礎能力も身につかせないまま卒業させたところで、就職という現実の前には無力である。

それを自らの指導能力の限界か、自らの経験の乏しさ(ロクに就職活動ができていない大学教員ならあり得る話)をすり替えて、就職指導ができない逃げ道として、(聞きかじった)起業の明るい一面だけを示し、誘導させるようなことがあるとしたら、それは大学教員としての責任を放棄しているだけでなく、もはや悪でしかない。

私はそのような愚行を犯さないよう、自分を律していきたい。

 


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