経験により学んだこと(4)-情報システムとして整合してさえいればオッケー、というわけではない

「情報システムとして整合してさえいればオッケー」
特にエンジニアの方は、この様に考えてしまいがちです。
私自身もエンジニアの末席に身を置いている人間ですので、特に注意しなければならない事柄として捉えています。
「情報システムとして整合している」とはどのような状態かというと、情報システムを構成する要素の物理的、論理的な性質に矛盾を感じない状態と定義しましょうか。その結果、情報システムは正常に稼働し、システムへの入力に対して意図したとおりの出力が得られるようになります。”Integrity”という意味に近いイメージです。
情報システムの分野では、当然のことながら整合した情報システムを目指します。また関連して、この分野に携わる人たちに対しても矛盾のない作業を求めます。そうでなければ、システム的な整合は得られないと考えます。
私自身はこの考えを否定しません。しかし、注意しなければならないことがあります。
この考え、人によっては必要条件ですが十分条件ではないのです。
これはスコープの違いによるものです。これにより、当事者間で軋轢を生み出す可能性があるのです。
例えば、情報システムの品質について考えてみましょう(簡単なお話です)。
あるシステムで計算処理をさせたとしましょう。計算結果に間違いはなく、要求通りの出力が得られています。しかし、その計算処理は数秒以内で完了させなければならず、そのための処理時間に関する要求をしているにも関わらず、数時間かかることが判明したならば、品質要求を満たしているとは考えられないでしょう。
「処理時間に関する要求を明示していなかった場合」はどうでしょう。杓子定規に考えれば要求を示していないわけですから、このシステムの開発者に非がないということになります。
しかし、システムの利用者からみれば納得がいきません。システムが用いられる場面や背景から、要求されるであろう処理時間を推測し、少なくとも処理時間に関しては合意形成の場を提供してくれるだろう(そっちはプロなんだし)と思うことが自然なのではないでしょうか。
これはよくある話かもしれませんし、結局のところ誰かが泣きを見て落ち着くことが多いのですが、「正しい」「整合している」⇒自分は悪くない と思考までシステマチックになってしまう人がいるのも事実です。
#念のため、この例は実際にあった話ではありません。架空の話です。
さて、世の中では情報システムの分野を離れても思考がシステマチックになっている人が日常生活の中でも同じような振る舞いをしてしまうことがあるようです。
「(あるスコープにおいて)整合していることを根拠として、そのスコープの中では自分に非はない、何をやっても許される」と錯覚しているのかもしれません。他の多くの人はその外側のスコープを見ているのにも関わらずです。
自分の思考や振る舞いがどのスコープに基づくものなのかを認識して、スコープの外にまで想像を巡らせる能力が必要であると最近感じています。
人間ならばできるはずです。