オープンデータの波に自治体はどう向き合うべきか(都政新報平成29年3月3日掲載)

CIO Contribution

昨年12月7日に「官民データ活用推進基本法」が可決・成立した。この法律では、国や自治体、民間企業が保有する「官民データ」を適正かつ効果的に活用することで、行政運営の効率化、地域経済の活性化などを目指すことを基本理念として掲げている。

この法律、名前こそ「官民データ活用」とあるが、実体は行政機関の保有データを公開し利活用を促す「オープンデータ」関連だけでなく、AI(人工知能)やIoT(インターネットによる機器連携)、個人番号カード普及・活用までを包含した基本法である。やや羊頭狗肉の感もあるが、これまで自治体が自らの発意で取り組んできたオープンデータに法的根拠が示されたことは大きな前進だろう。

自治体オープンデータの現状

自治体のオープンデータへの取り組みは簡単ではない。産学官民、それぞれの論点がかみ合わないのだ。

産学→官では「もっと自分たちの利益追求(研究成果)に寄与する様々なデータの提供を望む。」と期待を寄せ、逆に官→産学では「提供データには正確性の担保や他者の権利を侵害しない配慮が必要であり、そのコストの受容は困難。そもそも効果が不明なものに公金をかけられない。」と慎重に構えている。

民→官ではオープンデータの取組みを歓迎しつつも、「オープンデータは行政サービスのひとつに過ぎない。データの公開よりも、実のある結果が欲しい。」と意見が多様化する。官→民では「国からの委任事務や法定受託事務を処理するだけで手一杯。それでも住民から要求があれば動きたいが、オープンデータ化という漠然とした要求には応えづらい。」というのが本音だろう。

他の自治体の先行事例も誤解されやすい。事例の多くは即物的な成果(新たなサービスやシステム)を伴うため、成果自体への期待が大きくなりがちだ。その実態は行政主導の新しいサービスの提供でしかない場合もあり、これでは従来の情報化投資と何も変わらない。

港区アプリコンテストから得られた知見

このような状況の中、港区では昨年11月にオープンデータアプリコンテストを開催した。目的は港区のオープンデータ施策の推進に寄与する素晴らしいアイディアを区内外から募り、今後の施策の参考にするためである。そのため、完成したアプリだけでなく、アプリに関するアイディアの応募も受け付けた。

私も審査委員の一人として応募作品に全て目を通させてもらった。その中で2つの知見を再確認しておきたい。

「データ」と「情報」の違い

データとは「客観的な事実を示す数値、文字などで表した資料」であり、情報とは「目的に寄与するデータ、データを元に編集された資料」である。つまり、データが編集され、意味を伴うことにより情報となる。

オープンデータと従来の情報公開制度を混同するのは、データと情報の違い、関係についての理解不足が原因かもしれない。

自治体が保有する情報は、行政事務のために編集されたものである。そのため、その態様は市民に向けたものではない。そもそも情報公開制度は行政事務の透明性を説明するためのものであり、公開情報の再利用は制度の外にある。

また、情報として編集する前のデータが、常に再利用可能な形式で存在しているわけではないことにも留意すべきだ。非定型のデータを職員の能力や経験を元に編集している業務もあり、それらは現時点でオープンデータに馴染まない。

ところが現在のオープンデータは、自治体がデータをどれだけ公開するかという議論に偏っている。職員がわざわざ手作業で公開用のデータを作成しているという話を聞くと、このような運用を職員に強いるオープンデータは、行政事務の阻害要因にしか見えない。

他の自治体とデータの公開状況を競うことをせず、地道な業務改革に取り組み、通常の行政事務の副産物として公開可能なデータが生み出される仕組みを構築すべきだろう。

オープンデータは誰のための取り組みか

自治体が生成した情報資産は、原理的には納税者たる住民のものである。そのため、他者の権利を侵害せず、公共の福祉に反しない限り、求めに応じて公開するものであろう。データも同様である。

ただ、公開するのはあくまでも素材としてのデータであり、市民が望むままの情報を提供することではない。「細かな要望はきっと行政がなんとかしてくれる」という住民からの期待にも応えるべきなのかもしれないが、あくまでもデータの提供を受ける側のスタンスは「行政に代わって(あるいは行政と競合して)新たなサービスやシステムを自ら作る立場」であり、行政に依存することではない。

その意味でオープンデータは、それを自ら編集することができる人のための取り組みである。そこにはデータを提供する行政と利活用する側の役割分担が求められるのだろう。

オープンデータの成否は案外このような認識を共有することから始まるのではないだろうか。

photo by: ZeroOne

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