マイナンバー制度に関する議論の気持ち悪さ

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はじめに

10月5日から番号制度がスタートしました。マイナンバーに対する受けとめ方は、人により様々です。そして、やはりそれらの議論は噛みあうことがありません。

これらは発言者の立場により異なるところ(いわゆるポジショントーク)が話をややこしくさせます。周囲の人たちの発言がポジショントークなのか、本当の自分の考えなのかが判然としません。

後述する論点の多様化(1)と併せて、発言者の立場も混在している中で「マイナンバーは是か非か」という二元論で語ることが混乱を招いている要因でしょう。

私のこの記事がいろいろな方の理解の助けになるのか、逆に混乱を招くのかは判りませんが、ここで改めて自分の考えを書いておきます。なお、この考えはあくまでも私個人のものであり、所属する機関の意見を代表するものではありません。

マイナンバーに対する私個人の認識

今から遡ること3年前の平成24年9月8日。私は「マイナンバーシンポジウム」という内閣官房によるセミナーに登壇し、番号制度に関する考えをお話させていただきました。

マイナンバーシンポジウムin高知の開催報告・公開資料(内閣官房)

登壇した時の資料も、発言の議事録も全て残っていますので、ご覧いただけますと幸いです。

ちなみに当時の発言を要約すると、このようになります。用語も当時のままにしておきます。なお、改めて考えてみる事項に番号を付しておきました。

共通した事項

  • 番号制度は「付番」「連携機能」「認証機能」による分類と、個人、法人の分類の組み合わせにより論点が多様化しているため、結果的に議論が拡散してしまっている。この状態で議論をしてもよい議論にはならないだろう。(1)
  • 他国と比較することで、この制度の必要性を主張しているのは奇妙だ。いったい、何のために競っているのか。(2)

個人番号-付番について

  • 「付番」については、個人のアイデンティティを確認する手段として、私自身納得することはできる。

個人番号-連携機能について

  • 「連携機能」はもう少し慎重に検討すべきだろうと考える。
  • 住基ネットによる情報照会の仕組みがあるのにも関わらず、利用されていない手続が多すぎる。まずは現在の手段で効果を追究するべきなのではないか。(3)
  • 年金情報の不整合に関する問題(いわゆる「消えた年金問題」)も解決できていないのに、連携機能の議論をするというのでは取り組む順番がおかしいのではないか。(4)
  • 個人の情報はその本人のものである。自分の情報をどうして欲しいのかの選択は本人に委ねるべき(自己情報コントロール権)。(5)

法人番号について

  • 法人への付番の考えに違和感がある。法人の管理主体と付番主体が違うことで問題が生ずるおそれがある。この問題に無頓着すぎやしないか。(6)

私の考えは当時と大きく差はありません。結局、国民対話をしたという事実だけが残るのかもしれませんが、私自身は現在までずっとこのテーマについて考えています。

なぜ気持ち悪さが残るのだろう

私は長年行政書士として、市民と行政の関係を見続けてきました。市民の無知も、行政の能力不足も十分経験しており、そういった不完全性の中で世の中が動かざるを得ないことも承知しています。

番号制度がスタートすることで、私の周囲からも様々な意見を見聞きするようになりましたが、そこで交わされている内容があまりにも薄っぺらいように感じ、気持ち悪さだけが残ってしまうのです。

順番に考えてみます。

(1)議論が拡散してしまうことについて

マスコミによる報道や筋の悪い「有識者」が番号制度を語る際に、個人番号と番号カード、個人認証の話題を切り分けずにいるので、会話自体が成立していない場面が散見されます。

また制度そのものを検討するために必要な情報がほとんど国民に流れていないので、関係者ですら憶測で語ってしまうことにもつながり、さらに混乱を招いています。

国は「周知不足」という認識は持っているようですが、実は不足しているのは周知行為だけではありません。制度の目的や効果、リスクや課題といった周知内容そのものも不足しています。

結局、肝心な議論はおざなりにされてしまっています。国としてはネガティブな誤解は解消しておきたいが、論点が整理されて議論の核心に触れてしまうことを恐れているのでしょうか、消化不良のまま時間だけが過ぎているようです。

(2)他国との比較について

以前から番号制度に関する国の資料では、諸外国における同様の制度についての比較が示されています。アメリカのSSNや韓国の国民ID、シンガポールやリトアニアの事例が紹介されていることがあります。

ところで、そもそもこの情報を示す意図はなんなのでしょうか?

「他国もやっているので我が国もやるべきだ、遅れをとらないようにしなければ」

ということなのでしょうか? もしそういう意図ならば、幼稚です。主権は国民にあるのです。国民がどこまで望んでいるのか、そのための代償をどこまで負担できるのかという視点で考えるべきです。

他国に対するプレゼンスを高めたいのならば、他の方法を探すべきでしょう。

(3)なぜ住基ネットを活用できないのか

考えの土台となる解説をしているページがあったので、紹介しておきます。

【マイナンバーを読み解く素朴な疑問】Q2:なぜ住基ネットを活用しないで、新たな番号制度を導入するのか?(ITPro)

その上で、私の考えは次のとおりです。

誤解を恐れずに言えば、国や自治体の行政手続において、住基ネットが使えるにもかかわらず使っていない手続が数多くあります。

少なくとも住民票の写しを4情報(氏名、生年月日、性別、住所)の確認のために添付する行政手続は、法令(住民基本台帳法ではない)や条例の整備をすることで住基ネットを使った照会に切り替えることができるはずなのです。それにも関わらず、そのようになっていない事実を冷静に受けとめなければなりません。

なぜ利用されないのか。利用すると手間がかかって大変だからです。詳しくは書きませんが、やむを得ず市民に住民票の写しの添付をお願いしている理由は、仕組みと運用がマッチしていないことによるものです。本気でやるならば仕組みの改善が必要でしょう。

今やれること(住基ネット)をやらずに、新しい仕組み(番号制度)の導入を検討すること自体が努力不足だと言わざるを得ません。まぁ、新しい仕組みのほうが華々しい成果に見えるので、官僚の関心もそちらに傾きがちなのは仕方ないのですが。

ちなみに、新しい仕組みである情報提供ネットワークを使った情報照会でも、本質的な仕組みに差がありません(もしかすると、もっと仕組みがショボいかも)ので、運用がマッチせずに行政事務が滞る可能性は十分に考えられます。

(4)これまでの課題を解決せずに取り組むのはおかしいのではないか

この考え自体は上述(3)にも関連するものです。

その他に違和感を覚えているのは、年金機構の番号制度適用を一年延期したことです。

社会保障と税の番号制度であるならば、その本丸である年金の問題を解決しないでどうする? というのが率直な感覚です。

(5)自分の情報をどうして欲しいのかの選択は本人に委ねるべき

おそらくこれが私の考えの根幹をなすポイントです。

番号制度に対して、私が見聞きしている範囲の発言は次の3つの立場に分類できます。

  1. 管理する側の立場
  2. 管理される側の立場
  3. 保護される側の立場

1.は個人番号を使って市民の情報を管理する立場です。「個人番号により様々な情報が連携されると便利になる」「バラバラだった管理が一元化されることで行政のコストが低減できる」というような発言です。

言っちゃなんですが、上から目線の発言とも言えます。政府のオフィシャルな発言や御用学者、行政職員の発言はこれに該当します。

客観的には私もこの立場を取ることがありますが、どうも当事者意識を持っての発言とはなりません。なぜならば、私は個人番号を使って市民の情報を管理する職責にないからです。そして私自身がそういう職責を望んでいません。

2.は個人番号を使って、自分の情報が管理されてしまう、さらには情報だけでなく自分の身柄や資産も管理されてしまうと考えている立場です。この場合の管理とは当事者にとっては否定的な意味を持ちます。

「思想信条や病歴や交友関係や資産などが、いずれ国によって管理されてしまう。自由が奪われてしまう」というような発言です。

3.は個人番号を使って、自分の情報が管理されるが、結果的に自分の身柄や資産は保護されると考えている立場です。この場合の管理は保護のための手段なのでどちらかと言うと肯定的な意味を持ちます。

そもそも番号制度は社会保障のための制度とされていますので、「『きめ細やかな行政サービスの実現』や『弱者に手を差し伸べる施策』を実現するために必要だ」という発言はこれに該当します。

ここまで読むと理解できると思いますが、2.と3.は紙一重なのです。しかし、この立場は深い信念(あるいは浅い見識)に基いて形成されているので、互いが歩み寄ることはないでしょう。

2.と3.の立場の違いは、自分自身が日本という国にどこまで依存しているのか、どこまで対等でいるのかによるものと推察されます。依存の関係が薄いのであれば、2.の「管理」とは自己に対する干渉でしかありません。一方、3.の「保護」は依存の上に成立しているものだと言えます。

ある方(私は個人的に面識がありません)のFacebookのエントリを読んで、これらの思いを強くしました。この方のエントリをそのままコピペすると良くないので、要旨だけを下記に示します。

  • この方は随分前に米国に住んでいらっしゃった。その際、USのSSN(ソーシャルセキュリティーナンバー)には助けられたとのこと。
  • 例えば、教育機関で自分のSSNを見せると、昨年納税されていることを照会され、授業料の減免が自分が申請すること無く受けられた。これさえあれば、行政サービスがスムーズに受けられた。税、福祉、社会保障がこの番号を仲立ちとして市民生活を支えていた、とのこと。

非常に興味深い話です。ただ留意しなければならないのは、この方は米国から見れば異邦人であり、SSNを取得して米国社会に帰属(依存)しなければ、ロクに生活することができなかっただろうという事実です。つまり、立場で言えば3.以外を選べなかったということです。

この方がどのような考えを持ってらっしゃるのかは存じ上げませんが、仮にこれを理由に「番号制度を是」としているのならば、社会心理学的には確証バイアスが掛かっていた可能性はあります。

現在の日本はどうでしょう。SSNに相当する番号が無くとも、十分に生活できるし、相応の行政サービスも受けられています。

「個人番号で何かいいことあるの? そういう実感ないけど」という意見は比較的フラットですが、「いいことの実感もなく、不快なことばかり」と思えば2.に移行し、「きっといいことあるし、そのためには何かあっても許せる」と思えば3.に移行するだけなのでしょう。

そして、その鍵を握るのは「番号制度において日本という国が信頼に値する存在なのか」という国民一人ひとりの判断なのではないかと考えます。信頼については稿を改めましょう。

稿を改めることを前提に簡単に記しておくと、私の考えは2.と3.の両方の立場の人とも尊重できる方法がないのかというところに着地します。

案外単純な答えになりますが、私は「本人に選ばせればいい」という考えです。詳しくはいずれ書きます。

(6)法人番号の付番主体が国税庁であることについて

これも稿を改めて考えるべきことですが、外野の立場からこの状況を俯瞰すると、省庁間の権益争いという、少しダークな話題に踏み込むことになります。

ゴシップネタみたいな話をするつもりはありませんが、番号制度が総務省と内閣官房の空回りで終わってしまい、国民や自治体が負の遺産を背負い込まされる可能性があるため、ここも丁寧に私の考えを残して置かなければならないと考えています。

まとめ

今回はあんまりまとまっていません。どちらかと言うと、私自身の考えの整理をしただけかもしれません。

いずれにしても私が感じる気持ち悪さは、こういう考えが国民の間できちんと整理されないままズルズルと進んでしまっている現状にあるのかもしれません。

 

 

 

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