夏の日に想う、対立構造解消のヒント

CIO Contribution Strategy

はじめに

行政機関に所属しながら、行政機関をdisったりしている私だが、政治的な発言となると少し慎重にもなる。

別に禁忌ではないのだが、ひとつの視座だけで語るだけの知見を持ち合わせていないので、語るとボロが出てしまうのだ。それぐらいヘタレなのである。

ただ、これまでいろんな業界のドタバタをくぐり抜けてきたという自負はあるので、物事を客観的にとらえるクセはついているのだ。

ということで、現在世の中で語られている、「ある対立構造」について考えてみることにする。不思議なことに、私の周りでは規模の大小を問わず、対立構造だらけだ。そして私はこれまでいくつかの対立構造を解消したり、回避したりという役目を担ってきた。今回はうまく整理できるかな。

対立構造その1:安保関連法案について

断っておくが、今回は対立構造そのものに着目しているので、どちらかを支持するとかの話はない。そもそもこの問題は何が何だかよくわかっていない。それでもニュースを見聞きすると、互いの主張は平行線をたどっているようにしか見えないのだ。

ちょっぴり不毛な議論にも見えてしまうのが非常に残念である。

そこで、私は「双方の目指すゴールは同じである」と信じてみることにした。「信じる」というと甘っちょろいので、「仮定した」と言い換えてもよいだろう。

互いに目指すゴールは「世界平和」である。

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図.互いの主張とゴールの関係図

この図の見方を説明しよう。出発点では「賛成」「反対」の対立構造にあるものの、目指すゴールは「世界平和」であるとするならば、違いはゴールに至るプロセスの違いでしかない。

つまり、「賛成」ならば、それを前提に何かの取り組みを進め、さらにその取り組みから生ずるものが次の取り組みの起点となり、次々と連鎖を促すことで世界平和を目指すのである。「積極的平和主義」とはこういうことなのかもしれない。

一方、「反対」の人も同じである。「反対」というのは「何もしない」ことではなく、別の方法の連鎖で世界平和を目指していくのだろう。憲法9条を根拠として、世界中から賛同を得られる取り組みを行うことが世界平和につながるのならば、それは非常にハッピーなことであろう。

ただここで、この因果関係ツリーの左右に書かれていることにも留意していただきたい。

ひとつは「外部環境の変化」である。例えばこの話題の場合「何から何を守るのか」の変化があるように感じるし、そもそも兵器の性能や殺傷能力も昔とは桁違いに拡大している。経済情勢も変化しているし、新たな思想やイデオロギーの台頭など、これまで予見できなかった事象も生じている。

つまり、世界平和を目指すにしても、外部環境の変化に応じて取り組みのパターンは変えて行かないと、最終ゴールに到達できないかもしれないのだ。

もう一つが「内部制約」である。何らかの取り組みを行うにしても、自由自在にそれが実現できるわけではない。取り組むためには何らかのリソースを投入しなければならないのだ。リソースはお金かもしれないし、人的資源かもしれない。時間かもしれない。

ということは、内部制約の範囲で取り組みに制限が生じる可能性もあるのだ。妥協を重ねながらでも最終ゴールに到達するためには、やはり臨機応変に取り組みのパターンを変えていかざるを得ないだろう。

なぜ対立の溝が埋まらないのか

さて、こういう構造であることを前提に、なぜ双方の対立の溝が埋まらないのかを考えてみよう。

11836922_888242974587691_7107565832696552067_n図.対立の溝が埋まらない理由

つまり、こういうことなのではないだろうか?

「反対」の人から見ると、「賛成」の人たちが何を考えてゴールに向かっているのかが見えないことが不安なのではないだろうか? 不安だからこそ最悪の状況を想定し、取り返しの付かないことになることを全力で拒否するのは、ごく自然の反応であるように思う。

少なくともこれまで信頼に足る行動をしているのならば、理解しようとする試みもできたかと思われるが、客観的に見ると、「賛成」の人たちは「何か重大な事実を意図的に伝えないで済ませたい」と思う人と「本当にバカで実はよくわかっていない」人の混成チームになっているように見える。

一方、「賛成」の人から見ると「反対」の人たちは、否定することに一生懸命であり、世界平和を(外部環境の変化や内部制約を受けつつ)どのように目指すのかを明確に示せていないことが、甘ちゃんに見えるのだろう。ある意味、無責任とも言える。

理想論を語ることに反対はしないけど、私の知りうる限りその理想論すらも示せていないのでは? 批判を恐れて示せていないというのならば、一度その批判に晒されてみた方が理解も深まるし、賛同も得られやすいのではと個人的には思う。

対立構造その2:行政機関のネットワーク分離について

先ほどとはグッとレベルが低くなった話。

実際には対立構造とは言えないのかもしれないが、ある筋からは即時的にネットワーク分離を求められ、一方ではその要求に異を唱えるという状況である。

ちなみにこの件は私のポジションを表明しておく。私は「異を唱える側」にある。

11870938_888243081254347_6666505983978742551_n図.ネットワークの即時分離にまつわる対立構造

重要なのは、この対立構造が「ネットワーク分離の要否」ではないことである。

「すぐに分離しろ」という立場と「待て待て、先にやることがあるだろう」という立場の違いである。そしてゴールはやはり同じ「情報保全」にあると信じてみることにする。

なお、この図では左右の「外部環境の変化」「内部制約」の記述が省略されているが、本質的には同じであることに注意していただきたい。

先ほどの「反対」とは事情が異なる。今回の場合には、最終的なゴールに到達する道筋を私なりに考え、外部環境や内部制約を意識しながら時間軸に沿って取り組むプランを検討しており、勝算は十分にあると認識している。

逆に即時分離は、順を追ったプロセスを破壊してしまうものであり、コストだけがムダに掛かり手戻りが生じる取り組みなので、納得できないのだ。というか、私はコストの面でも実現可能性が高いプランしかやるつもりはないけどね。国民から預かった税金で仕事をするのだから当然の話だろう。

そして面白いことに、ここでも客観的に見ると、「即時分離」の人たちは「何か重大な事実を意図的に伝えないで済ませたい」と思う人と「本当にバカで実はよくわかっていない」人の混成チームになっているように見えるのだった。

でもゴールは同じなので、よい結果が出ることを期待したい。

まとめ

これまでの私の仕事の経験上、対立構造にある双方の間に入る際には「ゴールの確認」から入ることが多かった。実はこれは私の信念でもあり、最終的には職業的な良心に基づき「よくなること」がゴールであると信じているのだ。

もちろん、そこまでの道筋には隔たりはあるのだろうが、やはりそれはプロセスの違いでしかない。ならば、そのプロセスのどこに違いがあるのかを紐解くことが相互理解の王道なのだと思う。

 

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