自治体クラウド? 歴史は繰り返すのだ。

Administrative Lawyer CIO Contribution Strategy

はじめに

マイナンバーに対応する行政機関の情報システムが混迷を深める中、なぜか自治体クラウドとの関連に言及する記事を目にしたので、私の意見を書いておく。

その記事とは、これ。

「マイナンバー特需」に笑う業者、泣く自治体(東洋経済)

ちなみに私はこの記事自体には概ね好意的である。実態をきちんと捉えているようにも読めるし、問題提起も適切になされている。

ここで自治体クラウドの話題?

ところが、マイナンバーの問題に関連して、自治体クラウドの話題が出ているところが、私の認識と若干異なるのだ。

二ヵ所引用しておく。

となれば、当初のスケジュールにこだわるのは無理を生む。総務省が提唱している「自治体クラウド」によるマイナンバー対応が進めば、全体予算は大幅に削減できる。自治体クラウドが真に有効だと考えるなら、関係機関が協力してナショナル・データセンターを建設し、全自治体共通のアプリケーション機能を国費で開発して提供すれば済む。民業圧迫になる、などと自粛自制している場合ではあるまい。(記事3ページ目上段)

総務省が提唱する共同アウトソーシング、自治体クラウドに相乗りしたほうが安くつくのはわかっていながら、ほとんどの自治体が旧態依然の自己導入・自己運用。その理由はさまざまだが、内実はITゼネコンや地域の有力ITベンダーに“丸投げ”で、議会向けの代弁者になっていることもある。まれに自分たちでシステムを作ろうという猛者もいるが、「出る杭は打たれる」のことわざどおり、たいていは人事異動で飛ばされてしまう。(記事3ページ目中段)

残念ながら、この方の指摘は二つの事項を混同している。それは「共同導入、共同運用による割り勘効果」と「サービス利用による情報システムの外部化」だ。

それぞれの取り組みは有効に機能することは、私の経験上からも否定しない。しかし、前提条件が欠落した状況でこれらを複合させることは危険である。

また、政府が「この国をどうしたいのか」というグランドデザイン次第で、自治体クラウドの要否も変化していくのだが、どうも場当たり的な対応に終始しているようにも感じる。

ということで、マイナンバーの問題と自治体クラウドの問題を単純に結びつけることには反対する。

割り勘効果が機能する前提条件

やはり前提条件をきちんと整理しておかねばなるまい。まずは割り勘効果が機能する場合である。

全く同じシステムを共同導入し、同じサービスとして共同運用すること

これに尽きる。「全く同じ」という程度に幅はない。個別対応の余地が生まれた瞬間に割り勘効果は消滅する。

情報システムを「リソース」と「データ」と「サービス」に分類して考えてみるとわかる。割り勘効果が生きるのは、規模とコストの関係が一定ラインを下回った場合に限定されるのだ。

11693865_876382972440358_3798396863606804796_n図.規模とコストの関係

例えばリソースのうち、ソフトウェアについては全く同じものを使う限り、規模が大きくなってもコストが上昇することは(ベンダーの値付けの問題を除けば)ない。

ハードウェアは、仮想化技術を用いて使用リソースの時間的な平準化を行うことで、規模に対するコストを相対的に低くすることはできる。

一方、データは規模とコストがほぼリニアの関係となり、実は割り勘効果は発生しない。ということは、仮に個別のカスタマイズ事項が発生するのであれば、ソフトウェアに手を加えるのではなく、パラメータ(データ)として解決させることで、割り勘効果を維持することが可能であることに気付くと思う。

そしてサービスは、全く同じサービスとして運用するのであれば、規模の経済が生じさせることで、コストの上昇を抑えることが期待できる。とはいうものの、共同運用の場合、サービスの提供先は個々の自治体になるわけで、その部分の役割分担を自治体側に委ねなければ、割り勘効果は薄くなるだろう。

これまで割り勘効果というと、上記を包括して議論されていたきらいがあるが、個々の要素を検討することで、有用性が増すことに気付いてもらえたと思うし、いくつかの自治体クラウドが苦戦しているのは、この前提条件が崩れていることが原因であることも理解できるだろう。

サービス利用が機能する前提

続いて、サービス利用が機能する場合。別にむずかしい話ではない。

コアコンピタンスでないこと

アウトソーシングする場合の鉄則だが、この視点が欠落していることがあるようだ。

一応、コアコンピタンスの定義をWikipediaのリンクで挙げておく。

コアコンピタンス(Wikipedia)

目前の競争相手がいない行政機関において、コアコンピタンスがいかなるものかが想像できないかもしれないが、「行政サービスを提供するために不可欠な能力」と言い換えてもよいだろう。

少なくとも地方自治体における法定受託事務は自治体でなければできない事務であり、これらは情報システムの有無にかかわらず、遂行しなければならない。もちろん、自治事務においても法令で定められているものは同様であろう。

これらの事務を遂行するための能力を地方自治体のコアコンピタンスと定義したうえで、これらをアウトソーシングすることに異を唱えたい。

なせならば、アウトソーシングは組織におけるナレッジ(知識)の空洞化を招くからである。まぁ、当然だよね。現実にはこれらのナレッジの多くは暗黙知だったりするし、仮に形式知であったとしても、それを内面化(Internalization)して自分の暗黙知にしないと行動できないからである。つまり、組織の中で知識の蓄積・更新ができないのは、長期的に見て危険なのだね。

人事異動に伴う業務引継ぎに苦労するというのは、決して珍しい話ではない。ナレッジの100%伝達は困難だし、そもそも職員の絶対数が減少していることから、極端なことを言えば、

行政機関は知の総量として毎年確実にバカになっている

と言えるだろう。

具体的に言えば、住民記録に関する事務や、福祉に関する事務、地方税に関する事務などの根拠法令を理解し、個々の事務を理解した上で、情報システムを使うことができる人が減少傾向にある。

もはや、行政事務≒システム操作+窓口対応 という状況にあるのだ。

そんな中で、行政情報システムがサービス利用として提供されるということが、ナレッジの観点からは空洞化を加速する結果となることは容易に想像できる。なぜならば「なぜそのようなシステムになっているのか」を意識する機会が失われるからだ。

それでも行政機関の事務はまわっているし、目立ったトラブルもないというのは、ある意味でこの仕組みが上手くいっているのだという見方もできる。それは否定しない。

少なくとも人事異動により、いかなる職員が担当になっても一定レベルの仕事ができているというのは、組織として望ましい姿だと言える。

ところが、法改正対応やシステムそのものの見直しを行う際に「なぜそのようなシステムになっているのか」を意識せざるを得なくなる機会が到来する。当時の経験者も退職しつつあるので、ここで知の蓄積がないと、手の施しようがなくなってしまう。自治体主導でBPRを行わないまま自治体クラウドに移行した行政機関は近い将来、この課題に向き合わなければならなくなるだろう。

私自身の経験

私自身の経験を書いておく。私は過去にある省庁のCIO補佐官に着任していた。その省庁は昔は世界で最先端の事務処理システムを有しており、他国が羨むほどだった。

実はこの事務処理システムを支えていたのはサービス利用だったというと驚かれるだろうか。当時、この事務処理システムは「データ通信サービス」というサービス提供の中で開発され、運用されてきた。クラウドどころか、ASPという言葉も生まれる前である。

ソフトウェア資産はサービス提供事業者に帰属し、相応の運用費用(開発費用を含む)を対価で支払うという構造は、今で言うところのSaaS型クラウドと本質的には違いがない。

ところが、契約や費用の透明性に疑問を持った一部の識者(議員?)から指摘を受け、その省庁もサービス利用と決別することになった。ソフトウェア資産は買い取ったものの、それらをベースにして新たにシステム改修を行う際に、非常に苦労したという話を聞いている。(なお、この苦労はいくつかの荒波を経て、現在も継続中である)

苦労の理由は明快だ。コアコンピタンスであるにも関わらず、サービス利用により組織の中のナレッジが蓄積されなかったのである。その後、ベテランの職員の知識を総動員して、知識の形式化に取り組み、組織としての資産を形成するのに3年ほどかかったらしい。

自治体クラウドにおいても、同じ歴史を繰り返すのかもしれない。ただ、こういう取り組みに永続的な最適解がないことも承知しており、自治体クラウド事業が間違いだったというつもりはない。大きな流れの中でいずれ揺り戻しの時期が来るということだけだ。

政府はこの国をどうしたいのか

前述したけど、私が頭を悩ますのは、政府による「この国をどうしたいのか」というグランドデザインとの整合性だ。

昔話になるけど、田中角栄の「日本列島改造論」あたりからのテーマだし、実際に今もこの考え方は形を変えて生き残っている。

日本列島改造論は、簡単にいえば大都市への一極集中を排して、日本の国土にバランスよく都市を配置するというものだ。太平洋側は工業地帯が多く(太平洋ベルトという言葉を小学生の時に習った気もする)、産業が発展しているのに対して、日本海側の都市は比較的小規模だし、田中角栄の時代はその立ち遅れが顕著だったはずだ。

そこで、中核市よりも少し規模の大きい人口30万人程度の都市を工業都市として各地に配置し、それらの都市を新幹線と高速道路でつなぐことで地域の格差を小さくするというのがおおまかなコンセプトだ。

実際、九州新幹線も、北陸新幹線も、北海道新幹線も当時の構想のまま着工して整備しているし、安倍内閣の(最近あんまり言わなくなっているけど)国土強靭化というのも、これまでのコンセプトに防災・減災の要素を加えたものになっていることからも、まだまだ日本列島改造は続いているという見方でよいと思う。

ところが、外部環境の方が大きく変化することになる。真っ先に挙げられるのは少子化、高齢化だ。また昔ほど重工業指向でなくなってきていたり、いわゆる産業のグローバル化により国内だけで産業が完結しないことも、変化の大きな要素だろう。

少子化、高齢化に伴い、地方の基礎体力(生産年齢人口)が低下し、それらは当面戻ることはない。生産拠点は海外に移転し、これもなかなか国内に戻らない。仮に人口30万人都市を各所においてもスカスカになるだけだし、そこに工業都市を置くこともあまり現実的ではなくなったように感じる。

地方創生はその中で出てきたキーワードだ。うがった見方になるけど、国会議員の多くは地方出身者なので、地元での産業振興や利益誘導を是として動くことは否定しない。少なくとも大都市集中を緩和しなければ、選挙区の議席にも影響する。主たる業種が工業でなくなったとしても、地方を発展させることは悲願なのだ。

そして私自身もそのこと自体は否定しない。だって、私も地方出身者だし。ただ発展の形態はもっと多様化されるべきだし、それこそ各々の都市が全く異なるベクトルで街づくりをすることがあっても良いと思う。私の育ったところは典型的な企業城下町であり、明らかに他の自治体とは異なる戦略を持っていたように思う。(過去形なのは理由があるけど、それはここでは書かない)

街づくりのベクトルは産業だけではない。教育で特色を出したり、子育てや福祉で特色を出したり、異文化交流で特色を出しても良いと思う。問題はこの特色(=差別化)を図る際にトレードオフが発生することだ。リソースは有限なので、伸ばす部分が大きいとその分諦めなければならない事柄も出てくるのだ。

ここからが私の考え

トレードオフの中には行政サービスの濃淡も含まれるのではないだろうか? つまり、特色ある街づくりを目指す過程で、横並びの行政サービスを廃することがもっと許容されていいのではないかと思うのだ。「横並びのサービスを廃する」というと、行政サービスが低下する印象を受けるが、逆に手厚い行政サービスをすることも、横並びからの脱却であるといえる。

さらに言えば、自分の考えに近い街づくりをしている都市に自由に移住することができれば素晴らしいと思う。少なくとも私は自分の望まない行政経営をしている都市には住みたいとは思わない。実際に移住は困難であったとしても、住民税の納税先の一つとして、自分の共感する都市を選びたいと思う気持ちがあってもよいと思う。これは結果的に「ふるさと納税」という仕組みで実現できてしまった。特産品目当てでなく、行政経営に共感できるか否かで納税先を選ぶ時代になってくれると、それぞれの行政機関はさらに本気になると思う。

となると、影響が出てくるのが、行政機関の情報システムである。独自のサービスを効率よく提供するために情報システムの導入をすることを想像してみて欲しい。ところが、その行政機関が自治体クラウドによる共同運営を強いられているとしたら?

前述のとおり、私の地方創生を「他者との差別化」だと捉えているが、一方で自治体クラウドの目指すところは「サービスの均一化」である。

おいおい、政府はこの国をどうしたいのだい? というか、地方創生って本気なのかい? 全国に一部の成功事例を劣化コピーすることが良いことなのだろうか?

このジレンマがとても気に入らないし、解消する道筋を見つけ出していきたいと考えているのだ。

まとめ

なんと、マイナンバーから自治体クラウドの話題に移り、最後に地方創生をdisってしまうのは、立場的に大丈夫なのかと思いつつも、私なりに真剣に考えた経緯であることをご理解いただきたい。

 

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