なぜ自分はこの職業を選択したのだろう

Administrative Lawyer CIO Contribution Strategy University

はじめに

先日このブログに「そろそろオープンデータにおける立場の違いについて書いておこうか」という記事を書き、それに関するコメントを頂戴したので、私なりに補足しておきたい。

コメントは主にFacebookからなので、フルネームを書いたりブログにそのままコピペするのは具合がわるい。そこで、お名前は省略し、コメントの内容は私なりに咀嚼したうえでの補足であることをご容赦いただきたい。

コメントの趣旨

頂戴したコメントの趣旨は、

「記事で書かれた論点は、立場の違いを想像したものであり、論点として強く主張しているものではないのではないか」

だと理解している。この意見はまったくそのとおりで、論点整理と言いながらその論点の強弱については考慮されていないことは、私自身も承知している。

まぁ、本当に論点をきちんと整理し、知見を後に伝えるのならば、ブログにはせずに論文にすべきなのだろう。もっとも、論文にすると伝えるべき人たちに届かないという悲しい現実はあるけどね。

それぞれの立場に立って

「それぞれの立場に立って『想像』してみた」というと、何の根拠もなく想像しているかのように思われちゃうのかもしれないので、そのあたりは少し補足しておく。

この種の発言はとても恥ずかしく、虚しいことは承知なのだが、私自身は「産」「官」「学」「民」それぞれの立場を使い分けている。”それぞれの業界の中でキッチリと飯を食ってきた”と言うと、なかなか信じてもらえないかもしれないけど、私は過去に何度か大幅なジョブチェンジをしている。なので、それぞれの立場の行動原理については理解しているつもりだ。確かに細かい事象は「人による」とか「ケースバイケース」なのだが、それぞれの本質はズレていないという自信はある。

・・・みっともない。いやいや、そんなことを言いたいのじゃない。

なぜ自分はこの職業を選択したのだろう

私がふと思ったのは「なぜ自分はこの職業を選択したのだろう」ということだ。

このことを人から尋ねられると、こう答えている。

「なりゆきで」

私の場合、ジョブチェンジは単なる転職ではない。また「生きるための稼業」はここには含まれていない。その時の縁で思いもよらぬ方向に進むパターンが多かった。全く未知の分野の未知の業種に飛び込んで定住し、後から振り返ってみると、過去の経験が意外なところでつながっていることに気づくのだ。ただ、さすがに自分自身も「おっさん」の自覚はあるので、その振れ幅が小さくなっている気もするけど。

大学の工学部を卒業して、ベンダーのエンジニアとして情報システム開発の世界に入った。当時の私は仕事よりも関心のある分野があり、生活の中心はそちらにあったので、手段として情報システムを選んだに過ぎない。ただ、公共から民間までいろいろな業界に携わることができたし、いくつかの修羅場も経験できたので、振り返ってみると悪くない仕事だった。

その後、行政書士試験(当時は都道府県主催の国家試験)に受かり、何も考えないまま会社を辞めて自分の事務所を開業した。「何も考えないまま」というのは比喩ではなく、行政書士会に登録した帰りの電車の中で行政書士のパンフレットを見て、初めてどういう仕事をするのかを知ったぐらいだ。

開業資金50万円以外、ほとんど手ぶらで自分の事務所を立ち上げて、仕事のあてもなく、半年間プータローの状態が続いた。当たり前だけど、独立開業は「無職」ではないので失業保険も給付されず、この国は零細事業者にやさしくないなぁと思いながら細々と生きていくことにした。

結局、商才があったので(笑)人並み以上の生計を立てられるようになり、(一時退会したものの)実は現在も行政書士である。利益相反の仕事をやらないだけだ。

「なりゆき」あるいは「紆余曲折」。もしかして「塞翁が馬」

行政書士であることは私のキャリアにプラスになっている。司法と行政では法律の読み方が違うので、弁護士との棲み分けもできているし、行政機関が考えていることや行政の論理もわかるようになる。何よりも依頼人の業界に明るくなったのが大きい。あらゆる業界における利益構造がわかるようになると、経営戦略に基づく法的な支援(係争性なし)もできるようになる。(このあたりの知見は、後にMOTに進学する際に役に立った)

この時期に縁あって、ベンチャー企業の取締役開発部長として上場に向けた取り組みに参加したものの、結局上場はかなわず、私もその会社を退くことになった。今ならば、なぜ上場できなかったのかよくわかるのだが、決定的なものが不足していたのだった。不思議と渦中にいると気づかないものである。

当時はe-Japan戦略に基づく電子申請への取り組みの勃興期であり、行政書士として電子申請のあり方を考えることが増えてきた。いくつかの研究会にも参加し、実証実験のコーディネートを行った。私自身は電子申請における課題やその解決策などのアイディアを持っていたが、大きな流れの中でそれを実現させるには時期が早いと考え、私自身のテーマとして温めておくことにした。(これは後にドクターを取る際に役に立った)

また、ちょっとした縁で東京都の職業訓練校(今は職業能力開発センターというらしい)の講師をすることになる。再就職支援のための教育に携わり、まじめな訓練生とちょっとやんちゃな訓練生の中で過ごしてきた。(これは後に大学の教員として大学が掲げた存在意義である「職業訓練」を担う立場で役に立った。その後この大学は運営方針がどんどん劣化しているのは残念なところ)

その後、自治体のCIO補佐官として「雇用」される。これは本当に職員として雇用されたので、一般行政職の仕事を含めて業務に従事することになる。行政書士から見ると裏表になるので、多面的に物事をとらえることができたし、役所の仕事の進め方はここで多くを学んだ。私自身のテーマを実現させるフィールドに来たのだが、その前の環境整備で少し時間を費やしてしまった。ただ、環境整備の効果は大きく、CIO補佐官としての基本的な業務手法はここで得た知見に基づいている。

閉塞感か虚無感か

その後、大学の教員になり、教育と研究に従事していた際、薄々感づいていたことがある。

「結局、電子行政分野において大学は力不足」

というか、そもそも大学は責任を取る立場にないのだから当然なのだ。でも、過分な期待をしていただけに、大学がコミットする力の弱さ(正確には数の少なさかも)にガッカリしたのも事実である。(これは私が所属していた大学の話ではなく「学」の領域全般に言えること)

まぁ、このあたりは詳しく書くのをやめておく。だけど、本当にアカデミックは死んでいる。行政の立場から言わせてもらえれば、このまま死んでいてもらっても一向に差し支えないけど。

タイミングとか向き不向きとか縁とか、様々な要因をきっかけに、私は再び行政機関のCIO補佐官として活動することになる。教育(職業訓練)そのものは好きだったので、大学の教員をやりながら、国と自治体のCIO補佐官を兼務することになった。3足のわらじ、いや行政書士を入れると4足のわらじ生活を2年間続けた。

今年度からは大学の教員に一区切りをつけ、その分、行政の仕事の割合を増やしている。年齢的にもまだまだ中堅なので、行政の現場でもう少し頑張ってみたいのと、私のテーマに携わっていくには、その方が近道であることに気づいたのもある。

と、まぁこんな感じ。明確な意志を持って職業選択したとは言い切れないけど、いくつかのポイントでは、それまでのキャリアを一旦捨てるような無謀なこともやっている。

自分のテーマについて、案外しぶとく諦めていないのと、大抵の仕事は「やってみたら面白い」ことに気づいたことが、現在の仕事を選択した理由なのかもしれない。

 

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