「情報」と「データ」の違い(オープンデータ)

CIO Contribution Strategy

はじめに

先日このブログに「そろそろオープンデータにおける立場の違いについて書いておこうか」という記事を書き、それに関するコメントを頂戴したので、私なりに補足しておきたい。

コメントは主にFacebookからなので、フルネームを書いたりブログにそのままコピペするのは具合がわるい。そこで、お名前は伏せて、コメントの内容は私なりに咀嚼したうえでの補足であることをご容赦いただきたい。

頂戴したコメント

頂戴したコメントは、私が忘れていた視点を提供してくれた。

「官が集めた情報は税金を使って集めたものであり、納税者たる市民に還元するべき」

これは全くそのとおり。私も自分の組織の経営層に説明するときには、このような言い回しを加えることもあるし、少なくとも行政機関が抱え込む行為が正当であるとは言えない。

ただ、ちょっとだけ論理の飛躍があるので、そのあたりを補足しておこう。それは「情報≠データ」であるということだ。

e-Wordsの「情報」に関する記述を見ると、

情報とは、物事の事情を人に伝えるもの。また、それを文字や音声などを使って表現したもの。人が知覚したときに何らかの意味を想起させ、思考や行動に影響を与えるものを指し、人にとって意味を成さない雑音やランダムなパターンをも含む「データ」(data)とは区別される。

とある。細かな話なのかもしれないが、「情報を公開しろ」と「データを公開しろ」は幾分かニュアンスが異なる。

情報公開制度について

少なくとも、行政機関は情報を公開するスキームを持っているし、現にそれは運用されている。国の場合、その根拠法令は「行政機関の保有する情報の公開に関する法律
(平成十一年五月十四日法律第四十二号)」なので、第1条の目的を見てみよう。

(目的)
第一条  この法律は、国民主権の理念にのっとり、行政文書の開示を請求する権利につき定めること等により、行政機関の保有する情報の一層の公開を図り、もって政府の有するその諸活動を国民に説明する責務が全うされるようにするとともに、国民の的確な理解と批判の下にある公正で民主的な行政の推進に資することを目的とする。

つまり、国民側の「知る権利」の保障と行政機関側の「説明責任」の義務がこの法律の根底にあることがわかる。見方を変えれば、保有情報の財産的価値や利活用について、この法律ではカバーしていないことにも気づくだろう。

そもそも、公開の対象はデータではなく行政文書だし、その行政文書は再利用することを想定していない。すなわち、オープンデータの議論の中で情報公開制度に言及すること自体が筋違いなのだ。もちろんコメントしていただいた方もそれは判っているので、情報公開制度の議論として扱っていない。

ただ「情報」と「データ」という言葉を意図的に使い分けないと、誤解を与えかねないのも事実。というのは、私の周囲では明らかに混同した議論が起こりそうになったからだ。これはオープンデータを「情報の公開」と意訳してしまうことによる不幸な事象なのかもしれない。

ガイドラインの意義

なぜそのようなことになるのかというと、オープンデータの定義が曖昧なのと、オープンデータに取り組む根拠が(法的に)存在しないからである。役所って頭固いよねー。だからこそガイドラインを整備することで、その定義や根拠を(一応)明らかにする必要があるのだな。

もっともガイドラインが錦の御旗になるかは別問題だし、いくつかの行政機関のガイドラインを見る限り、単純に「なぜオープンデータ?」という問いにすら、うまく答えられていない気もする。外国の事例なんかを持ち出してもダメだよ。

ガイドラインを策定する際に、ここまでの考えの整理をして全庁的に合意しておく必要があるのだ。ガイドライン策定自体に消極的な行政機関は、この検討プロセスに到達していないところが多いのでは? 特に自治体では国の方針だからと、よく考えもせずに義務的に取り組んでいるところも多いのではないだろうか。

もちろんこの方のコメントは感覚的には理解できるし、同意できるところなのだが「民主主義の王道」という理想だけでは前には進まないのは、おそらくご自身がよく判っているはず。ここは役所の行動特性に沿って、地味な取り組みをすることは避けられないのかもしれない。

仮にガイドラインで主張するべき根拠が乏しければ、あまたある事業の一つとして効果や有用性を評価するしかなくなるのだ。それでも私自身は勝算があると思ってる。理由は以前書いたとおりだ。少なくともデータの公開側が障壁になっているという意識はない。

個人情報保護法との関係

蛇足をひとつ。オープンデータを難しくさせている要因として個人情報に関する取扱いが整理できないことを挙げる人が多い。ところが、その個人情報について規定した「個人情報の保護に関する法律(平成十五年五月三十日法律第五十七号)」の目的が実に興味深い。

(目的)
第一条  この法律は、高度情報通信社会の進展に伴い個人情報の利用が著しく拡大していることにかんがみ、個人情報の適正な取扱いに関し、基本理念及び政府による基本方針の作成その他の個人情報の保護に関する施策の基本となる事項を定め、国及び地方公共団体の責務等を明らかにするとともに、個人情報を取り扱う事業者の遵守すべき義務等を定めることにより、個人情報の有用性に配慮しつつ、個人の権利利益を保護することを目的とする。

ね? 個人情報は有用性があり、個人情報は利用する対象であることを示しているのだ。もちろん、保護と公開は対立関係にあるので、公開することの有用性を主張しているわけではないのだが、なんというかパラドックスみたいな印象をうけるのは私だけか。個人情報保護法ではこのあたりを「本人からの利用目的の許諾」という運用で整理している。個人情報はその本人のものなのだ。

乱暴な言い方をすれば、本人の許諾があれば(そしていつでもオプトアウトできる権利が留保されていれば)、さらに二次利用以降まで許諾とオプトアウトの効果が及ぶのであれば、オープンデータと個人情報保護は両立可能であると言える。

え? 私? もちろん全力を挙げて、公開を拒否するけどね。

それでも情報公開制度を経由するならば

筋違いであることも承知の上で、それでも情報公開制度とオープンデータを関連付けるのであれば、手段の一つとしては否定しない。でもなるべくなら避けたいところ。

実際、産や民の側からオープンデータ化を求めるのであれば、これまでのスキームのままだと情報公開窓口が担当になってしまう可能性はあるのだ。ならばその際、行政文書ではなく「データ」を公開するよう求めてみるのはどうだろう。

私が窓口担当ならば、上述の理屈をもってデータの公開は拒否するけれども、同じような情報公開請求が同時多発的に何度も行われるのならば、事務の効率化の観点からデータの公開に踏み切る可能性はゼロではない。要は業務として認識(オープンガバメント化)させればよいので、ここにオープンデータという概念自体は不要なのだ。

まとめ

いや、今回は本当にまとまっていない。まだまだ思考の過程である。お付き合いいただいて感謝してます。

 

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