そろそろオープンデータにおける立場の違いについて書いておこうか

CIO Contribution Strategy University

はじめに

昨年あたりから、行政機関におけるオープンデータの議論があちこちでされている。

国の世界最先端IT国家創造宣言(IT総合戦略本部)でもオープンデータの取り組みについて示されており、それに引きずられて、各行政機関においても「なんかやっておかないとヤバい」という雰囲気になっているようにも見える。

オープンデータについては、様々なプレイヤー(産学官民)がそれぞれの関心事においてのみの発言を重ねており、論点が混在している。その結果、論点のほとんどが収束せず成果に結びついていない。

人によっては、この状態を「踊り場にいる」と表現しているが、そのまま階段を下っていくだけの展開になることが容易に予想できる。

産⇔官の関係における論点

論点整理をしておこう。そもそも産業の領域から行政機関に対してオープンデータの話題を持ち掛けるのならば、そこに何らかの商業的な意図が含まれていると考えるべきだろう。

例えば、産→官はこんな感じだろう。

  • 行政機関で保有している何らかの情報を開示してほしい(自分たちの商売で使いたいから)という意思が発端。
  • 「何らかの情報」とは、事業者の名簿だったり、統計データだったり、地図情報だったりと様々であり、自分たちはその情報をどう使いたいのかを知っている。
  • さらに言えば、利用に際して自分たちの負荷をかけたくないので「何らかの情報」はコンピュータでそのまま処理できるような形式にして欲しいと思っている。なので、従来の情報公開請求では困る。
  • 案外、自分たちは行政機関がどのような情報を保有しているのかを知らない。(ここ重要)
  • 本当は、これらの情報は自分たちだけが手に入れられればOK。競合他社も同じ情報が手に入るのならば、差別化が図れない。それでも情報が無いよりはマシなので、オープン化してくれることには反対しない。

一方、応えるべき立場の官→産はこんな感じ。(ただし、あくまでも想像であり、行政機関の総意でないことに注意)

  • 行政が保有する情報は、公共のために用いるものであり、単なる私企業の利益に寄与する目的で扱っているわけではない。(これは産業に特有の話題)
  • 保有する情報の中には他者の権利を侵害する性質の情報(ex.個人情報)が含まれていることがあり、それらを分別することは困難。なぜならば、行政機関がこれらの情報を活用する範囲においては、包括して保有することに合目的性があるため。
  • 情報公開請求に対応する行政コストは案外高く、その都度公開可否を分別(あるいは黒塗り)せざるを得ないため、現実問題大変だ。
  • 一方、産業育成を目的として、積極的に収集し公開すべき情報があることも事実。ただし行政機関としては、この情報がどのように扱われるのか、想像もつかない。乏しい想像の範囲では、統計データやグラフとして「眺めて」もらう以上の利用方法があるとは思えないので、頑張って眺めやすい態様(きれいなグラフや、配布しやすい冊子など)にして公開している。
  • 利用方法が想像できないので、ローデータや時系列データが欲しいという要求の意味するところが理解できない。
  • そもそも行政機関自らが、それらの情報を積極的に活用した施策をしているか自信がない。
  • コストーベネフィットの観点から、目に見えるベネフィットがなければコストを投下してオープンデータ化に踏み切ることへの説明ができない。同じコストをかけるのならば、福祉や道路整備に投資してほしいと思う市民もいるのだ。

この段階ですでに論点がかみ合っていない。

学⇔官の関係における論点

学術の領域から行政機関に対してオープンデータの話題を持ち掛ける場合であっても、その動機は産業の場合とさほど変わらないのではないかと思う。研究者ならば収益の代わりに、研究実績、学術的な満足が当てはまるだけだし、教育においても、対外的な活動実績ぐらいしか思い当たらない。

学→官ならば、

  • 行政機関で保有している何らかの情報を開示してほしい(自分たちの研究で使いたいから)という意思が発端。

という起点から想像できる。後はほとんど同じ。

一方、官→学でも、私企業の利益云々は別として、基本的なスタンスに違いはない。

ただ、行政機関は学術の領域を「モチベートさえできれば、無償で動くイカした奴」という感じで見ているきらいはあるので、互いの利害が一致すれば議論が収束する余地はある。

  • カネは出せないが、何か成果の残ることができるのならば、話を進めてみたい。もちろんこの場合の「成果」とは、行政機関にとっての成果である。
  • 最近の行政機関は(IT分野において)手足を動かす能力が極端に退化しているので、何かに取り組もうとしてもカネで解決せざるを得ない。しかしカネはない。仮にカネがあっても、それを使う理屈が示せない。(ここも重要)

理屈が示せない、というあたりは行政職員や意思決定者の力量次第かも。ただ、やはり理屈の根幹はコストが限りなくゼロであってもコスト-ベネフィットにある(行政職員のコストはそれなりに高いのだ)し、官のベネフィットと学のベネフィットがそもそも乖離しているところが問題とも言える。

民⇔官の関係における論点

住民の領域と言っても、産業も学術も「住民」の皮をかぶってアプローチすることができる。産業の要素が入っていたり、学術の要素が入ることでミスリードするおそれがある。ここでは純粋に行政サービスを享受する住民の領域に限定することにしよう。

民→官では、

  • オープンデータは行政サービスのひとつにすぎない。やってほしいことは他にもあるし、なんなら住民税を引き下げてくれた方が嬉しい。
  • 実はデータを公開してもらうよりも、実のある結果が欲しい。

実に消極的。能動的な論点は、産あるいは学に収れんさせていけば、買い手としての立場とあまり違いが無いのでは? というのが私の仮説。つまり、ここにプロシューマはいない。

ところで、民→官の関係を正確に示すと、間に「議員」が入るはずなのだが、今のところ具体的な話題として出てきていない。個人的にはいろいろと話を聞きたいところだけど。

一方、官→民は、

  • どうしてよいのか、決めあぐねている。

というのが、本当のところだろう。区市町村に関しては国からの委任事務や法定受託事務を遂行するだけで手一杯のところもあるのだ。住民からリクエストがあるのならば動く余地もあるが、そのリクエストはもっと直接的だし、そのリアクションももっと直接的なはずである。オープンデータ化しろ、という漠然としたリクエストはありえない。

これまでの関係の中でこぼれ落ちている人たち

そもそもオープンデータの話題が出てくる背景には、他国による先行事例によるところが大きいのだ。その一つとして、Code for America がある。

正確に言えばオープンデータとは関係ないはずなのだが、日本においてオープンデータの話題をすると、なぜか Code for ナントカとか、アプリコンテストとか、アイディアソンとか、ハッカソンみたいな話題になるのは、行政機関が即物的な「成果」を欲しがっているからだろう。

その割には、満足いく成果を挙げたという話はあまり聞かないし、あったとしても一過性のものであり、とても継続性があるように見えない。

なぜならば幸運にも成果を挙げている人たちは、産でも学でも民でもない、これまで書いてきた中に含まれない立場の人だからである。そして日本国内においては、その人たちの絶対数が少なく、不安定であるため、マネージすることが難しいという特徴を持っている。

つまり、オープンデータ化と行政機関が望む成果との間の因果関係が非常に弱いのだ。これはオープンデータ化を進めても状況は変化しないだろう。どちらかというと、上記に挙げた希少人材の育成や確保、マネジメントの方が必要なのではないかと考える。

・・・おっと、立場の違いから、意外な方向に話題が進んだよ。続きは後日

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