東京の職場

前年度から引き続き、東京の職場で仕事をしている。
人事異動に伴い、スタッフのフォーメーションも大きく変わった。たぶん今年度もバリバリ、楽しくやっていけるような気がする。
ここの職場のよいところは、CIOが私のやることを信じてくれているということだ。人間関係というのは鏡のようなもので、信じて期待してくれれば、それに応えようとするし、仕事に誠実に向き合っている様子が伝われば、一緒に成し遂げたいという思いも強くなる。特に私の携わる業種は、自分や自分の所属する組織ではなく、多くの方々に向けて働くことを求められているため、そのあたりの自らの律し方は勉強させてもらっている。
 
一方、過去にはそうでない職場もあった。結局、そういう職場は経営者、管理者の行動に矛盾が生じてしまい、その辻褄あわせでさらに悪い方向に進むという経過をたどることが多い。業種、職種を問わず過去に2か所そのような環境に遭遇した。両方とも業績や成果が低下しつつある環境であり、その環境、組織にしがみつきたいがばかりに、経営者、管理者が自らの保身を第一に考えた行動をとっている様子をこの目で見てきた。そういう経営者、管理者は平気でウソをつくし、自分に都合が悪くなると恫喝して相手を黙らせたりするのですぐにわかる。
「清濁併せ呑むことも必要」という意見もあるかもしれない。でも、何のためにそうするのかについて、今一度考える必要はあると思う。経営不振の大学を例にしてみよう。大学が経営破たんすると、学生に迷惑をかけるので、何としてもそれは避けたいという思いでいくつかのインチキをするかもしれない。そのうえで、それらのインチキを正当化するかもしれない。経営破たんによる最大の被害者はもちろん学生なのだが、経営者、管理者が本当にそこまで真剣に考えているのか疑問である。どちらかというと自分の生活のことしか考えていないような振る舞いを見せることもあるだろう。その中で清濁併せ呑むことに何の意味があるのだろうか。
・・・なんてことを思いながら、私は現在の環境で仕事できることについて感謝している。